ブラックマス争奪戦と輸出規制の行方
EV電池リサイクルの世界で、いま最も熱い商品は完成品の再生金属ではありません。使用済みリチウムイオン電池を破砕・選別して得られる黒い粉末、「ブラックマス」です。リチウム・コバルト・ニッケルが濃縮されたこの中間原料をめぐり、国境をまたいだ争奪戦と、それに対抗する輸出規制の動きが同時に進行しています。本記事では、ブラックマスという商品の特性と価格形成の仕組み、国際的な資源フローの実態、そして規制の行方を整理します。
ブラックマスとは何か──品位が価格を決める中間原料
ブラックマスは、使用済みリチウムイオン電池や電池工場の工程スクラップを放電・破砕し、篩分けや選別を経て取り出される正負極活物質主体の粉末です。見た目はただの黒い粉ですが、その中にはコバルトが数%から十数%、ニッケルが十数%から二十数%、リチウムが数%程度含まれることがあり、天然鉱石をはるかに上回る「高品位鉱」として取引されています。
価格形成の基本は、含有金属の市場価格に「ペイアブル率(支払対象比率)」を乗じる方式です。ロンドン金属取引所などの相場を参照しつつ、コバルト・ニッケルの含有率と回収可能性に応じて買い手が支払率を提示します。ここで重要なのは、リチウムのペイアブル率が買い手の技術力によって大きく異なることです。湿式製錬でリチウムまで回収できる事業者はリチウム分にも対価を払えますが、回収技術を持たない事業者はコバルト・ニッケル分しか評価しません。つまりブラックマス市場は、製錬技術の優劣がそのまま調達競争力に直結する市場なのです。原料の由来(NCM系かLFP系か)による品位の差も大きく、コバルトを含まないLFP由来のブラックマスは大幅に安値で取引されるという二極化も進んでいます。
取引の実務では、サンプリングと成分分析(アッセイ)の信頼性が価格交渉の土台となります。同じロットでも分析機関によって数値がぶれることがあり、売り手と買い手が指定機関の分析値を突き合わせるプロセスは、鉱石取引の商慣行をなぞる形で整備されてきました。近年は品位のばらつきを抑えた規格化ブラックマスを安定供給できる前処理事業者が「優良サプライヤー」として買い手から囲い込まれる動きも見られ、単なる廃棄物処理業から資源商社的なビジネスへと性格を変えつつあります。ブラックマスの相場情報を専門に扱う価格アセスメント機関も登場し、市場の透明性は徐々に高まっています。
誰が買っているのか──アジア勢の調達攻勢
世界のブラックマスの最大の買い手は、精製・前駆体製造の能力を圧倒的な規模で持つ中国です。CATL系のブルンプ・リサイクリングやGEMといった大手リサイクラーは、国内回収に加えて東南アジア・欧州・北米に前処理拠点や調達網を張り巡らせ、ブラックマスを自国の精製工程へ吸い上げる体制を構築してきました。韓国も、電池大手やリサイクル企業が欧米・東南アジアで合弁を相次いで設立し、調達競争に参戦しています。
日本はこの構図の中で、長らく「原料の出し手」の側にありました。国内で発生した使用済み電池やブラックマスの相当部分が、より高い価格を提示する海外バイヤーに買い取られ、精製された金属は電池材料として再び輸入されるという流れです。国内には世界水準の製錬技術を持つ企業が存在するにもかかわらず、原料が集まらなければ設備は動かせません。レアメタル回収と資源安全保障のページで述べた「都市鉱山の海外流出」問題の中心に、このブラックマスの越境フローがあります。
貿易統計や業界推計によれば、日本から輸出される電池スクラップ・ブラックマスは増加傾向にあり、その主な仕向け先は韓国・中国・東南アジアの精製拠点とされています。国内の製錬能力が立ち上がる前に商流が海外に固定化してしまえば、後から取り戻すのは容易ではありません。欧州でも同様の危機感から、域内リサイクラーがブラックマスの域外流出規制を求める働きかけを展開しており、「原料確保競争」は各国の産業政策の優先課題に浮上しています。
動き出した輸出規制──バーゼル条約とEUの先行事例
この状況に対し、国際ルールの見直しが動き始めています。転機となったのが、有害廃棄物の越境移動を規律するバーゼル条約の枠組みでリチウムイオン電池スクラップやブラックマスの扱いを明確化する改正議論です。2025年の締約国会議での合意を経て、リチウムイオン電池廃棄物やブラックマスを条約の管理対象として扱う整理が進み、2026年以降、輸出には相手国の事前同意(PIC手続き)が求められる方向となりました。これにより、無秩序なブラックマス輸出には一定の歯止めがかかります。
地域レベルではEUが先行しています。欧州電池規則と重要原材料法(CRMA)で域内循環の目標を掲げたEUは、ブラックマスを含む電池由来資源を「廃棄物」として厳格に管理し、域外流出を抑制する方向へ舵を切りました。米国もインフレ抑制法の税額控除で「北米域内でリサイクルされた材料」を優遇し、原料を域内に留める経済的インセンティブを設計しています。各国・地域が「ブラックマスは戦略物資である」という認識で一致しつつあり、自由貿易の対象から資源安全保障の対象へと位置づけが変わったことが、この数年の最大の変化と言えるでしょう。
日本の論点──国内循環を成立させる条件
日本でも、蓄電池産業戦略や資源循環関連法制の見直しの中で、電池由来資源の国内循環を促す政策が具体化しています。再資源化の高度化認定や設備投資補助によって国内処理能力を引き上げる一方、バーゼル条約改正への対応として輸出管理の運用も整備されていく見通しです。ただし、規制だけで国内循環が成立するわけではありません。ポイントは三つあります。
第一に、国内製錬側の「買う力」です。リチウムまで回収できる湿式プロセスの商業化が進めば、ペイアブル率で海外勢と競える買値を提示できるようになります。第二に、回収段階の目詰まり解消です。廃車や交換電池が海外バイヤーに渡る前に国内リサイクル網へ誘導する、トレーサビリティと商流の設計が求められます。第三に、再生材の出口です。欧州電池規則の再生材使用義務のような制度的需要が国内にも整えば、ブラックマスから再生した材料の価値が安定し、国内循環の採算が立ちやすくなります。
なお、規制強化には副作用への目配りも欠かせません。過度に厳格な輸出規制は、正規のリサイクルルートに乗らない不適正な退蔵や処理を誘発する恐れがあり、また国内処理能力が十分に育つ前の期間には、かえって資源の滞留を招く可能性もあります。バーゼル条約の手続き強化と国内処理能力の増強を歩調を合わせて進めること、そして正規ルートに電池を誘導する経済的インセンティブを設計することが、制度運用の要諦と言えるでしょう。
ブラックマスをめぐる争奪戦は、EV電池リサイクル産業の縮図です。技術・商流・規制の三つが噛み合った陣営が原料を制し、原料を制した陣営が2030年代の電池サプライチェーンで主導権を握ります。黒い粉の行き先から、この産業の未来が見えてくるのです。